プロフィール

うんげん

Author:うんげん
雲南省とチベットの国境らへん↑

やまもと りょーた。

京都

瓜生山の古家に住む

34歳

24カ国放浪

大阪芸術大学、写真学科卒。
長久手町出身。





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まとめ
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01月16日(土)

あらすじ

去年の暮れに京都のゲストハウス<楽座>がオープンした。

ワシは聚落を塗る役として、たまたま雇われた。
1ヶ月の作業だったが、フランス人の大工のニコさんと、二人で黙々壁と向き合った。

それまでに<小世界旅社>の壁もワシが塗ったのじゃが、
その時の精一杯の仕上がりだったけど、
夜はすこぶる綺麗でも、昼間の光には凸凹がばれる。その程度の腕やった。

フランス人大工のニコさんは、いわゆる?マジ大工で、
イタリアの教会とかの壁を塗ったりしてたことがあり
ほぼ、本職。
ただ、鏝の形や、なにしろ土壁なので悪戦してたけど、
しっかり本職と見分けの付かない仕上げをマスターしとった。
んで、師匠と弟子<ワシ>みたいな感じで、日々成長しながら、
満足のいく仕上がりをワシもこの腕に刻んだ。

んで。。

その打上げの席で、畳屋さんと隣になり、ほろ酔い加減で話をしていると
なぜか急に、畳が作りたくなった。
そこで、手作りで畳の作り方を教えて欲しいと、懇願した。

んで。。

京都で5代続く、藤井畳店
ここが、ワシの修行の場となりましたとさ。


楽座
京都、祇園の鴨川沿いにある、元お茶屋さんのゲストハウス。

小世界旅社
京都、紫野の裏路地にある、アンダーグラウンド&アナーキーなゲストハウス。

藤井畳店
江戸末期から受け継がれる心を大切にしている畳屋さん。
京都市下京区綾小路通 東洞院西入竹屋之町252
075-351-8395





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01月23日(土)

畳の上で死にたい。

あらすじ後、ワシは師匠と色々話しながら、考えながら、上敷きを縫いながら
今、畳に対して感じている事を言葉で残そうと思う。

まず、今まで幾つかの京町家を自分たちの思うがまま改修してきた。
小世界旅社では約8ヶ月かけて、全て改修した。
店をオープンするには、常識はずれの期間、毎日毎日改修した。
大ボス岡村さんのイメージを具体化するには、技術や知識に乏しく
解体、木工、左官、塗装、水道、電気、など全て図書館の本から学び
一つ一つ自分達の可能な限り制作していった。
ワシのだらしなさや、いい加減さも自分で感じていた。
だから未だに改修は続いている。

でも、店が始まり人が集まり始め、使い道に困ってた家が息を吹き返していく姿に
自分が全力を尽くした快感や実感を覚えた。


2軒目は、小世界旅社に訪ねて来た女の子の京町家。
ものすごい傾いている家。そこの使えなかった2階を住める様にする事。

まず、解体して岡村さんが設計、木工をして、ワシが左官と塗装と電気をする。
15万円と限られた予算の中、汗だくになりながら1ヶ月ほどかかりながら改修をした。

その後、小世界旅社を退社して旅に出た。
写真を学びたくドイツに飛び、ドイツ語に苦戦し放棄してしまった。
お金が無くなり南大東島でサトウキビの工場で季節工をしたあと、
メキシコ、グァテマラ、ホンジュラスを旅した。
知床でシャケの季節工をしたが、自分の気力と体力に負けて脱落し
実家に帰り、クロネコヤマトで夜中2ヶ月働き、また旅に出た。
中国の雲南省で半年が過ぎ去った。

帰国して、北大東島で季節工をし、京都に戻る。

2軒目に改修した家に居候をして、自身初めての木工をした。
天井の断熱と化粧板を貼付けた。

ワシは振り返ると15年間、旅を中心に生活していた。
12年間、誰かをたより自分名義の家を持たなかった。

今、12年ぶりに自分名義の家を借りて、彼女と住んでいる。

左京区の瓜生山の中腹にある、築100年を超える小さな古家。

縁側を張り替え、壁を抹茶色の聚落に塗り替え、キッチンやトイレやお風呂を
少しずつ改修した。建具もバラして直し障子を貼り冬支度をした。
小さな畑を彼女が自然農を実践し、彼女は家の中の作業場で竹細工をする。
ケンカも耐えないが仲直りすると、とても気持ちいい。

そこから、あらすじにつながる。

それまで、畳は畳屋さんに御願いしていた。
畳に対して、直しは出来ないと決めていたのだ。

これから、もし店を作るときに自分で畳を直せれたら、安く工事が出来る。
そんなもんの感情で始めたと思う。

畳と向かいながら1週間の時がすぎた頃、自分の畳に対する思いが変わっている事に気づいた。

自分の作った畳の上で死にたい。

そこから、全て作りたくなった。

床である部分の藁を田んぼで育て、機械を使わず手で作る。
い草も田んぼ育て、泥で染めて、織りを覚えて作る。
縁の素材や色を探し、植物を育てて、染め物を覚えて自分で織る。
今は強度の為、不燃性のビニロンの糸を使うが、
昔ながらの苧麻を育て使い、切れたら自分で直す。

これらを全てするには一生はかかってしまう。

ひょっとしたら、間に合わないかもしれない。

そうワシの人生の目標ができた。

自分の中の死に向かう行為。

なぜワシは生きたいのか?
畳を通して考えて生きたくなったのだ。

それから毎日、師匠に教えを請い、縫いを実践し、
自分で方法を模索し一針一針真摯に縫う様になった。

まだまだ道は長い。

けど、これまで練習してきた上敷きを左京に住む友人達にプレゼントして
喜んで頂いて、ワシの知り合いがワシの縫った上敷きを使ってくれる。

ワシは逃げない。
もう投げ出さない。

畳の上で死にたい。
それは自分の家で家族に囲まれて死ぬ事を望む事。

この先、ワシの作った畳の上で逝って頂けたら、
ほんまに人とのつながりを感じれる様な気がします。

ワシは地球を旅して来た。
いろんな人と出会う事が出来た。
歓喜や別れや失敗をして、自分を知る事が出来た。

これからは、我が家に住み、家族を作り、愛を学び
いつかは、自分の作った畳の上で死にたいと、
そう決意した事を誓いたいと思います。












 
03月06日(土)

社会人になると言う事。

ワシは今日、自由人を卒業する事を決めた。

師匠から社会人を教わる。

自由人は、基本突っ走る。常にonの状態だと思う。
3年前実家の婆さんが、ワシに言った事を思い出す。
『あんたは寅さんか?』
その時、ワシは婆さんに言った。
『そう思ってくれたら、ワシは生きやすい』と

今まで、好きな事のみに突っ走った。
行きたい所に行く事。
それのみに12年間動いて行きてきた。

そして、色々知らぬ間に学んだ。

義理は堅いけど、無責任だった。
責任感をもつと、自由に動けないからだと思う。

師匠の言葉。
今のままでは、いつかまた放り投げて、畳を捨てて旅に行ってしまうと。

心に突き刺さるもんがあった。
もう、逃げないと決めて、必死にこの2ヶ月動いていたけど、
でも、このままでは12年間の延長が続くだけで、何かのきっかけでまた旅に出てしまうと。

ワシは畳を続けたい。
心の底から思う。
小学生や職人さん達や周りの全ての、支えてくれはる人達を捨てたく無い。
無責任では、もう生きていけないのだ。

社会人になる。
師匠の始めての教えは、

切り替えの大切さを知りなさい。

onとoff 。
頭の中でうごめく意識のスイッチを切り替える事。
ずっと、onのままでは、人付き合いができないと思う。
自分の意志だけが正しく、相手を知ろうとせず、一方的だと言われた。
今までは、その通りに生きてきた。

自由人はそうでないと、出来ない事も知る。
自由人を続けるには、自分の意志だけに従い、ひたすら突っ走る事だと思う。

社会人は、その場の状況や相手との距離や人柄に合わせて
その場でスイッチを切り替え、言葉を選び、会話する。
そして、人間関係を築き、続けていく事だと教えて頂く。

今までのワシの心は、火や風だったと知る。
これからは、山や石のように心を堅く磨き、
じっと、その場に留まることだと思う。
畳から決して離れない事だと知る。
常に畳を中心に生きていく事だと思った。

ワシはどんな畳屋になるのだろう?
それは、分からない。
でも、師匠の教えを守り、6代目を目指して
次の世代の7代目に教えを伝えたいと思います。

でも、師匠が言う。
亮太くんは、明日から毎朝、畳を作り
午後から自由に動きなさいと。
社会人として自由に動きなさいと言われた。

ほんま、感謝の念しかありません。

ワシは今日から社会人になります。
皆様、よろしくお願いします。





 
03月12日(金)

師匠の社会人としての教え、其の弐

明日、京都市役所の前で行われる、和のイベントに
畳屋さんとして、こっそり出演します。
家宝の作業台の畳を置いて、ゴザ縫います。

これは、ゴザの販売目的で出演するのではなく
畳を色んな人達に知ってもらいたいと思う形。

目の前で、作業する職人を見てもらう。

子供達や、同じ世代の人や、老人まで、色んな人に触って頂きたい。

なぜ、畳が必要なのか。
なぜ、日本家屋を大切にしたいのか。

でもそれは、知らないだけで知って頂く事から始まると思う。

今まで京町家を改修して生きてきたワシですら
その理由が分からなかった。

今は、しっかりと心に抱いている。
その理由を現場で直接伝えたい。

その心を一人の人でも伝えれたら、ワシは満足じゃ。
そんな素敵な日になりますように。。

<テーマ>
春、桜の花見にビニールシートでなく
ゴザ敷きませんか?
ビニールシートでは、桜の根が息ができんそうです。

師匠は、明日の時間の取り方を、ワシに伝えてくれた。

明日、急に畳替えの仕事が舞い込んで来た。
21畳、何とかせないかん。
軽トラは1台のみ。
作業者は3人。

この組み合わせを、一歩でも間違うと
誰かが困ってしまう。
すなわち仕事を失敗する事につながる。
いかに失敗を少なくするか。

それは、無駄を省く為に、話し合う事。
今日は3人でトコトン無駄を省く為の話し合いをした。

明日は、安心してイベントに出演できそうだ。
それは、良い品物が作れる時間の為の作業だった。

仕事って面白い。
色んな人達のアイデアが集まると、良い品物が出来上がる。


 
03月19日(金)

命日

Rocket Records 

7年前、ワシは石垣島にたどり着いた。
愛する人と別れて。
南大東島で新年を迎え、呑んだくれの状態で。

一人の友達が、楽しいぞ!この島と誘ってくれた為
ワシは石垣島にたどり着いた。

そこで、最初に訪れた店
Rocket Records 

そこは東シナ海、唯一のレコード屋。

ワシは尋ねた。
なぜ、ロケットなのと。

彼の言葉。
旅の途中で偶然の出会いで店を借りた。
家賃3万。
島の繁華街のど真ん中。

で、彼は自分の荷物を全て並べた。
初めに売れたのが、ロケットの絵のジャケのLP.

彼はレコードの無い文化の島でレコ屋をはじめた。
最初はプレーヤーを売り、レコ屋を営んでいた。

ワシはその店で一枚のレコードも買った事が無い。

ただ、呑み、遊んでいた。
友達達が楽器を持ち寄り、JAMする毎日毎晩。

隣のカラオケスナックから、うるさすぎると言われても
爆音でJAMしてた。

毎晩。

時には著名なギタリストが登場し、
時には無名なディジュリドゥ奏者が唸ってた。

毎晩。

毎晩、音楽を楽しんだ。

自由に演奏していた。

心に残る音楽がある。
Doors the end

今も、とても自由な曲だと思う。
自由に演奏したらいい。

ジムの声を。


彼とはタコス屋をした。
米原のビーチの集落で。

ワシの店のルーツ。

オープンの時、島唯一のクラブから機材を拝借して
ビーチでパーティした。
彼の言葉。
リョータしょんべんもらしていいか?
真っ青な海に浸かりながら。

いっぱいフラッシュバックする。

でも、続かなかった。
そして、ワシは逃げた。
理由は問題じゃない。
ただ、島を去った。
責任感が無かった。

その後、一緒に逃げた岡村さんと
小世界旅社をつくった。。
2年後。

その間に、彼は波に呑まれて消えた。
友人を助けに行って。

友達からその知らせを受けて、飛んだ。
石垣島に。

僕の全ては彼にある。
彼が僕の全ての始まりである。

きっと、天国で会えるだろう。
僕が僕で生きていたら。
 
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