プロフィール

うんげん

Author:うんげん
雲南省とチベットの国境らへん↑

やまもと りょーた。

京都

瓜生山の古家に住む

34歳

24カ国放浪

大阪芸術大学、写真学科卒。
長久手町出身。





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まとめ
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01月23日(土)

歴史や基礎知識

つい先日、小学生の社会見学があった。
そこにワシも居たのでおさらいをする。
なので、ちょー初心者向け。<ワシも含む>


畳はいつ頃、考えだされたのであろう?
文献には古事記や日本書紀などに出てくるらしいが、おそらく奈良時代だと思われている。
元々、畳は天皇の座る御神座だったらしい。
広い広い板の間に約1m正方形の畳台を置き、その上に天皇が座る。
だんだん幾つかの畳台が板の間に置かれる様になり、その時の偉い人達用に置かれた。
それは、階級や役職によって大きさや高さや縁の色が違ったと考えられている。
この御神座。すげぇかっちょいい。
ワシはまだ、図鑑でしかまだ見た事が無い。

畳を部屋に敷く様になったのは、15世紀くらいらしいが
当時の武家の家くらいのもんだったらしい。

一般庶民が部屋に敷く様になったのは明治以降らしい。

そして、人の数が増える事で、機械化が進み、値段も手頃になって普及していった。
中国での制作が始まり、技術や価格が格段と落ちてしまった。
最近の中国産のい草は、一昔と比べると格段に良くなっている。
ただ、国産とは比べ物にならない。そりゃ日本人が1000年近く試行錯誤したものだもの。

ちょい前の中国産はい草を泥染する事が無く、化学染料で染めていたので
雑巾で畳を拭いたとき、雑巾が緑色になるのは、ちょい前の中国産と見分けがつく。
最近のは熊本から中国へ土を運び、泥染をしてる。

現在は、畳の無い家が増え、これは流行とかだけでなく、
家そのものの作り方が変わった為であるが
ここ10年での全国の畳の生産枚数だけど、1年間4000万枚から400万枚に減ったらしい。
そりゃ、今の小学生の家でない事もうなずける。10年で10分の1だもの。
畳屋さんは減った。それに伴う糸、布、に始まりお茶道具や着物関係なんかも、そりゃ減る。

師匠やワシの考察。

日本の家は風土に合わせて柱構造だった。
それは、湿気が激しい時期や乾燥の激しい時期があるからだ。
それで四季がある。世界でも稀やと思う。
現在、家を柱構造で作れる大工さんは、ほんまに少ない。
柱構造といっても、土台基礎の部分である。
柱は石の上に乗っていた。
ただ石の集まりに乗っていたのだ。
その技術で今の建築基準法では法律上、2階建てなんかは無理なはずかな?。
地震にもきちんと対応していた。そりゃ地震は昔でもあったのだから。
その技術者がほとんど居ない。
知識では知っていても経験が無い。
3階建ての築100年を超す京町家は存在する。火災には弱いけどね。

なぜ、家の土台部分のほとんどが土なのか?
今はコンクリートのベタ基礎が主流であると思う。
寒いや暑いなどの感覚を回避し快適性を求めた結果やと推測する。
昔やって、コンクリはなかったけど、小石を石灰とかを水で混ぜて敷き詰めたらええやん!
三和土<たたき>ってやつだね。
でも、しなかった。
それは、家が呼吸をする事で、長持ちしたからだ。
畳は呼吸したり空気を浄化する。
だって農産物だもの。。。
知恵の結晶だね。

最近、壁は土壁<聚落>や漆喰<石灰と土と藁>を求める。
それは、家の中の空気を浄化するからだと言われる。
でも、1ミリ程度じゃね?と思う。
それでも、壁紙は化学性<石油など>の身体に良くないとされる物質を使わなければならない。
で、土を使う。
ワシも聚落が好きっす。できれば土壁の上に聚落がいい。

そんで畳は6センチ!もある。
どれだけ、呼吸してくれるのだろう。どれだけ家を長生きさせてくれるのだろう。
この厳しい風土の中。全くたくましい技術である。
そして、文化も形成した。
西洋や中国は椅子の文化だが、日本人は床に座る。

またアルミサッシで窓も変化した。
結露の応酬。湿気だらけの為、空気清浄機などが必要となる。
そんな家でも畳を敷く。そりゃカビる。畳は農産物だって!
だから、最近の畳のワラ床には発砲スチロールを入れる。旭化成が考えたらしい。
賢いな。技術で補っている。
そんで軽いので運ぶのが楽ちん!畳屋さんや引越屋さんは喜ぶね。
でもい草との間にワラもちゃんと使ってるのが賢い。
変化に対応せねば。

ワシはワラのみの床を選ぶけど。
なんせ住み始めたのが築100年の古い家だったから。

そんなこんなで。

その昔、小世界旅社が出来た頃、すきま風がひどかった。
ワシは、大ボス岡村さんに「なんとかならんの!」と言った。
岡村さんは、日本は暑くて寒いもんだ!と言っていたのを思い出す。
そう人が怠けをただけである。ワシも怠け者。
またの名を風通しの良い家。
ワシより旅をしている岡村さんならではの答えに、今は感心する。
家の寿命か、人の快適さか?
人はこの先、どちらを選ぶのだろう?

小学生は畳を大切にしたいと言っていた。

なくさへんで!






 
01月26日(火)

KitadaitouSima_Death_Site_2009_1_16

KitadaitouSima_Death_Site_2009_1_16
  
report a Hole 


 
01月26日(火)

京間と江戸間

昨日から今日の15時まで、彼女の友達の誕生日パーティで
17時から畳の運びの仕事。
ドイツ人のトモダチが出来た。
京都に住もうとしている。4日目の日本。手書きの地図を渡した。
子供と日本人の彼女と一緒に。

家は楽しい。

そう、パーティの席で、ワシの語り癖が始まり、彼女に止めてもらい。
話しかけた、最後の雑学がある。

京間と江戸間

京間が大きくて江戸間<関東間>は小さい。
そんなもんでした。

なぜ?

答え。

100年くらい前の京都の家は、畳の寸法が決まっておりました。
1910×910=一間
その畳の寸法を基準に大工さんが家を思い描いた。
んで、襖屋さんやら建具やさん、庭師さんに左官屋さん。
などなどの職人さん達に寸法とイメージを伝える。

それが、京町家。
いっぱい、いろんな種類がある。

江戸間は、既に板間の家があった。
その家に合わせて、畳を包丁で小さくした。

その差、3割。

東京の8畳間は京都の6畳間に近い。

ちなみに、中京間ってのもある。
わしが、産まれた地域のサイズ。
やっぱり、中間のサイズらしい。。

その間の畳み作って、家建てたりしてみたいな。
土地探しは楽しい。
金はないけど。






















 
01月27日(水)

People's Republic of China - Socialist Republic of Vietnam - Border- 2008.5/30-.

People's Republic of China-Socialist Republic of Vietnam-Border-2008.5/30-.


end of a train bridge











 
01月27日(水)

国境





あれは、愛知県と岐阜県の県境を、
おかんのMR2でがんちゃんと、
さびれた温泉に向けドライブしてた。

森を抜け田園地帯に出た時、
ふとグアテマラとホンジュラスの国境の風景が浮かんだ。

急に、国境について、感じ始めた。

なぜ、存在するのだろう。

国境。

人が始まった時、初めに家族を作った。
そして、家族を外的から守る為、柵を作った。
親類が集まり、さらに大きな柵を作った。
そして、仲間が増えると、町が出来上がる。

権力の発生。

欲望は誰にでも存在する。
時には暴力へと変化する事さえある。

縄張り争い。

遠い昔から、人は柵を作る。

家族から始まる人生を見直すべきだと思います。


その現場で、今、死にかけている存在を探し、
それを記録する。

これからも旅はする。
限られた時のなかで。
でも、目的地がある。
探しまわり、足の裏がズルムヶになるまで散歩して
国境を撮るんだ!

それから、2008年3月、チベット争乱の中、
香港へ中国ビザを求める。
発行停止。
ビザ無しで入国。
雲南省の警察署で延長とかしてもらえた。
雲南省で働きながら、素敵な出会いをしながら、
ヒマラヤの渓谷の始まりを、風でかんじながら、
ラサを目指した。
様々な国籍の7人が集まりランクルに乗り込んで。
最終地、飛来寺村 3500m

思い通りに往かない事もある。
それを、知った後、
北大東島でがんちゃんと製糖工場で働いた。
働く喜びは、ここで学んだ。
そこには、リン工場跡地がある。
閉鎖され、台風などの猛烈な過酷な環境の中、
人は、しっかり生きていた。
日本の離島。国境ライン。アメリカ?中国?
世界の人の住む島の中で、最も古い珊瑚礁隆起の島。
レインボーストーンなんお宝もある。
探したけど、仕事一本してた。なかったな。
島の人達に家族に入れてもらった気がした。

国境。

追います。この限られた時の中で。
自分らしく生きてみる。


ryota


 
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